投稿

「日本語」を考える「選書」のリスト

日本語の成立本―選書篇 前回の、「日本語」の成り立ちを考える、ひいては「日本」の成り立ちを考える「日本語本」のうち「新書版」に続き「選書本」をリストにしました。 「選書、叢書、双書、ブックス、コレクション」 「選書本」も選書によっては「新書版」同様、冒険に満ち、意欲的で、面白く読めるものもありますが、「新書」では軽装で手軽という「形」の枠組みへの著者の意気込みが見られるのに比べ、「選書」は、「選書」のもつ口上への編集者、そして著者の挑戦がみられるものも楽しい。名称は様々にある「シリーズ」ものをここでは「選書」としてまとめました。 「講談社選書メチエ」 音羽の講談社の「講談社選書メチエ」は最多数の選書の一つ。歴史は 20 年余りだが、 2017/08/11 現在、 656 と附番されています。このリストでも 20 余冊あります。最後にある「刊行の辞」は次のように記されています。 < 書物からまったく離れて生きるのはむずかしいことです。百年ばかり昔、アンドレ・ジッドは自分にむかって「すべての書物を捨てるべし」と命じながら、パリからアフリカへ旅立ちました。旅の荷は軽くなかったようです。ひそかに書物をたずさえていたからでした。ジッドのように意地を張らず、書物とともに世界を旅して、いらなくなったら捨てていけばいいのではないでしょうか。  現代は、星の数ほどにも本の書き手が見あたります。読み手と書き手がこれほど近づきあっている時代はありません。 きのうの読者が、一夜あければ著者となって、あらたな読者にめぐりあう 。その読者のなかから、またあらたな著者が生まれるのです。この循環の過程で読書の質も変わっていきます。 人は書き手となることで熟練の読み手になる ものです。  選書メチエはこのような時代にふさわしい書物の刊行をめざしています。  フランス語でメチエは、 経験によって身につく技術 のことをいいます。 道具を駆使しておこなう仕事 のことでもあります。また、 生活と直接に結びついた専門的な技能 を指すこともあります。  いま地球の環境はますます複雑な変化を見せ、予測困難な状況が刻々あらわれています。  そのなかで、読者それぞれの「メチエ」を活かす一助として、本選書が役立つことを願っています。    一九九四年二月野間佐和子>

前口上と「日本語」を考える「新書版」のリスト

前口上 本が好きです。 50年来、集書、ましてや読書、というよりは買書という状態です。 沢山溜まり、ライブラリー・ティー・ルーム、砂がざらつく海の近くに持ちたいと思ってます。民設民営の図書館です。 ブック・カフェといっても良いのですが、そうしたものより、本の比重がもう少し高いもの、カフェでないのは生来コーヒーがよくわからないので、という単純な理由です。 そうした好き勝手な擬似図書館をイメージし、その目録や本棚や特設棚を紹介していきたいと思ってます。 日本語の成立本ー新書篇 今回初回として、「日本語」の成り立ちを考える、ひいては「日本」の成り立ちを考える「日本語本」のうち「新書版」をリストにしました。 「日本語」「日本語教育」関係の本は恐らく本棚2架分くありあり、全部はあまりなので、以下は僕がここ十数年来の興味を抱いてきた、古代、中世、近代の日本、日本語の成立史関連本のexcelリストから新書版のものを抜き出したものです。 「日本語本」に限らず、私のような専門家でない一般人にとって「新書版」は冒険に満ちたものも多く、その心意気を手軽に味わうだけでも、面白く読め、いずれも、すすめられます。 日本語の成立と変遷の三期 私自身の最近の「日本語の成立史」に関する関心は、 ①口語言語がマルティリンガルだった時代において中国文字が導入され、社会のヒエラルヒーのトップに書記言語が染み込んでいく「権威的」な古代、 ②社会のヒエラルヒーの構造変化と市場の発展によってそうした書記言語が揺れ動きながら「権力的」となっていく中世、 ③今日では方言や文語と呼ばれるようになった口語言語と書記言語が「権力的・権威的」に統合されていく近代、 にあり、そうした観点からのリストです。 学校、軍、歌 また、イヴァン・イリイチのような発想も含めて、学校や軍そして歌謡のような「共有」する「場」が「国語」形成に果たした役割も大きいという観点も取り入れています。「共有する場」があっての「共有言語」なのか、「共有言語」があっての「共有する場」なのか、という循環です。 マルティ・カルチャーからモノ・カルチャーへ いうなれば、ここ百年足らずでこの社会において多様性がどのように潜在化したか、喪われてきたかに関心があり、それに近いものをリストにしました。